風水害を引き起こす積乱雲や竜巻などの現象が発生する位置や時刻、降水量・風速は必然か偶然か、蓋然性を高い精度で推定できるようにします。

西澤 誠也

PM 西澤 誠也

理化学研究所

研究概要

豪雨や突風をもたらす積乱雲や竜巻などの気象を制御して風水害を防ぐ。それが私たちの目指す未来です。
例えば、ある気象条件で積乱雲が特定の位置に必然的にできる場合は、積乱雲の位置を人のいない場所へ人工的に誘導することは難しいので、発生時刻や降水量を制御する手法を選択すべきです。
このように、最適な制御手法を選ぶには、その地域・気象条件で発生する現象の位置や時刻、降水量・風速が必然的に決まっているのか偶然かを高い精度で推定する必要があります。
私たちは、そのために必要となる新しい気象シミュレーションモデルを開発します。

積乱雲を制御して風水害を防ぐ

今から約30年後の未来のニュースです。
2050年6月、九州北部で積乱雲が同じ場所で連続的にできる「線状降水帯」が発生するという予報が昨年に続き出されました。長時間の豪雨により河川の水が堤防を越えて住宅地に流れ込み、大きな風水害をもたらす恐れがあります。そこで、飛行機から発達中の積乱雲に向けて大量のドライアイスが投下されました。それにより積乱雲の発達が抑えられて降水量が減り、河川は氾濫せず、大きな被害を免れました。

私たちは西暦2050年ごろに、このニュースのように積乱雲などを制御する技術を実現して、線状降水帯やゲリラ豪雨などによる風水害から皆さんの暮らしを守ることを目指しています。
地球温暖化により、日本でも大雨の回数やその1回当たりの降水量が増す可能性があることが予想されています。精度の高い予報を出して避難を促したり、河川の堤防を高くしたりする方法だけでは、風水害を防げない恐れがあります。そこで風水害を引き起こす気象を制御する技術が必要になると、私たちは考えているのです。
実は、これまでも気象を制御して被害を軽減させようとする実験が行われたことがあります。例えば、1960年代にハリケーンを弱める実験が米国で行われました。ヨウ化銀という物質を台風に散布することで、その直後に風速が30%弱まったと発表されました。しかし、ヨウ化銀を散布したから風速が弱まったのか、何もしなくても風速は弱まったのかは、分かりませんでした。
その後、コンピュータシミュレーションによって台風や雨などを再現する「気象モデル」の精度が向上したことなどにより、台風や積乱雲を制御できるかもしれないことが分かってきました。

制御手法の選択には「蓋然性の推定」が必要

例えば、積乱雲が発生する位置を人が住む場所から、人のいない海へずらすことができれば、風水害を防ぐことができるでしょう。
しかし、山地か平地かなどの条件によって積乱雲のずらしやすさは変わります。積乱雲は、地表付近の暖かく湿った空気が上空へ運ばれる上昇気流によって発生します。上空では空気に含まれていた水蒸気が冷やされて無数の水や氷の粒となり、雲ができます。強い上昇気流で運ばれた大量の水分を含む積乱雲が豪雨をもたらすのです。

では、上昇気流はどのようにして発生するのでしょうか。山に向かって風が吹くと、空気が山を駆け上って上昇気流が発生します。そのため、山地では風向きによって特定の位置に積乱雲が発生しやすいのです。

平地でも、地表付近の暖かい空気の上に冷たい空気が流れ込んだ場合や、太陽光によって地表面が暖められた場合などには、暖かい空気は冷たい空気よりも軽いので、上昇気流が起きて積乱雲ができます。そのような場合には、特定の位置ではなく、さまざまな位置に積乱雲が発生する可能性があります。少しだけ風向きなどの条件を変えるだけで、さまざまな可能性の中から、人のいる場所ではなく、人のいない場所を選ぶことができるかもしれません。

積乱雲ができる位置は、例えば、山地では必然的に決まり、平地では偶然に決まる傾向がある、といえます。積乱雲が発生する位置が必然的に決まっている場合には、積乱雲の位置をずらすことは難しいので、例えば、暖かい空気をドライアイスなどで冷やして上昇気流を弱め、降水量を減少させるといった手法が適しているかもしれません。一方、位置が偶然決まる場合には、降水量を変えるよりも、巨大な扇風機で上昇気流が起こる場所を移動させて積乱雲が発生する位置をずらすといった手法の方がより効果的であるかもしれません。

このように、積乱雲などの気象災害をもたらす可能性がある現象を制御する場合、その条件によって、発生位置や時刻、降水量・風速のうちどれを制御できるのか、どれを制御するのがより適切かを検討しなければなりません。そのためには、現象の発生位置や時刻、降水量・風速がそれぞれ必然的に決まっているのか、あるいは偶然に決まるのかを知る必要があります。その現象について、どのような状態 (例えば発生位置など) がどのくらいの確率で起こるのかを示したものを「確率分布」と呼びます。その確率分布の幅が狭く特定の位置に高い確率で発生するのか、あるいは確率分布の幅が広くさまざまな位置に発生するのか、確率分布の度合いが、私たちのプロジェクト名にある「蓋然性」です。あまり聞き慣れない言葉だと思いますが、気象制御のためにはこの蓋然性を推定することがとても重要なのです。

気象制御というと人間が自然をコントロールするように聞こえるかもしれません。そうではなく、ある気象現象の蓋然性が低いとき、つまり発生位置や降水量などにいろいろな可能性、選択肢に幅がある場合に、人工的に少しだけ条件を変えて被害が小さくなる状態を選んでそこに誘導することを目指しています。蓋然性の推定とは、どれだけ選択肢に幅があるのか、人工的に誘導できそうかを予測することです。

蓋然性を高い精度で推定するために新しい気象モデルをつくる

気象現象の蓋然性は、気温や海水温、気圧配置などの条件を少しずつ変えながら、その現象の発生位置や時刻、降水量・風速がどれだけ変化するのかを実験できれば、高い精度で分かります。しかし、そのような実験を現実の大気で行うことは不可能です。

そこで気象モデルを使って、条件を少しずつ変えながら、積乱雲などができる様子を再現するコンピュータシミュレーションを何回も行います。その結果、現象がどのシミュレーションでもほとんど同じ位置に起こるのならば位置の蓋然性は高く、いろいろな位置に起こるのならば蓋然性は低いと推定できます。

しかし、この方法には大きな問題点があります。現在の気象モデルは、積乱雲などの現象が起こる位置や時刻、降水量・風速を正確には計算できない、不完全なものであることです。例えば、実際は決まった位置に積乱雲ができるのに、いろいろな位置に積乱雲ができるといったように誤差が大きいシミュレーション結果が出てしまう恐れがあるのです。その結果を信じて積乱雲の位置をずらそうとしてもうまくいかないでしょう。

なぜ現状の気象モデルは不完全なのでしょうか。雲は水や氷の粒が無数に集まってできるので、雲を再現するには無数の水や氷の粒の振る舞いを物理法則に基づいて計算する必要があります。しかし、その計算量は膨大なものとなり、どんなに高速の計算機でも計算し切れません。そこで現在の気象モデルでは雲を再現する際、「経験的に、この気温・水蒸気・風の条件の場合、このような雲が発達するものだ」「雲の発生に必要な空気中の微粒子(エアロゾル)の分布は一様とする」といったようなさまざまな仮定を取り入れることで計算量を減らしています。このような計算の簡単化が気象モデルの中に多数含まれており、これらが誤差を生む原因の一つです。

そもそも、積乱雲などの気象現象に関わる物理法則自体も完全に分かっているわけではありません。それも誤差を生む原因です。

現在の気象シミュレーションでは、地域を数km四方ごとに区切って計算を行います。その区切りの粗さもまた、別の誤差の原因の一つです。しかし、たとえ区切りを1m四方以下のように細かくしたとしても、不完全な気象モデルによる誤差が積み重なったりして、蓋然性の推定精度が向上する保証はありません。現在の気象モデルは粗く区切ったときにのみ成り立つ仮定などをもとにつくられているためです。蓋然性の推定精度の向上は、既存の気象モデルを単純に改良しただけでは達成できないのです。

私たちは、そのような仮定をなるべく排除して、例えば、雲をつくる水や氷の粒の振る舞いをより正確に高い効率で計算できるようにするなど、従来の計算方法とはまったく異なる気象モデルの開発を進めています。そして開発した気象モデルで蓋然性の推定精度が向上するかどうかを確かめ、精度向上を阻む要因を突き止めて、改良を進めます。それにより蓋然性を高い精度で推定できるようにして、積乱雲などの気象災害をもたらす可能性がある現象の最適な制御手法を選択して、風水害を防ぐことができる未来の実現を目指します。